2026年2月20日、学林青梅キャンパスにおいて、海潮音科31期生による卒林説法会が開催された。2年間にわたる学びの集大成として、仏教および法華経の教えを、それぞれの人生経験と結びつけて語る実践の場であり、オンラインを含め50名を超える参加者が国内外より集った。
異なる文化的・宗教的背景を持つ学林生が、2年間の学びの中で自身の内面と真摯に向き合う中で得た気づきと変容の歩みが語られた。そこに共通していたのは、「すべての人に仏性がある」という教えを、自らの実感として受けとめていく過程であった。
バングラデシュ出身学林生が語った「人を裁く心から、自らを見つめ直すまでの歩み」は、多くの人が抱える人間関係の悩みや生きづらさに通じる内容であった。彼は幼少期より上座部仏教の家庭に育ち、10歳のときに出家を経験するなど、仏教に親しんだ環境で成長した。一方で、来日前の自身について、「人を裁く心にとらわれていた」と率直に振り返った。
ルールを守らない人を見ると腹が立ち、礼儀のない態度に強い嫌悪感を抱いていたという。また、寺院で信仰深い姿を見せながら、外では他人の悪口を言う人々を見て、矛盾や不誠実さへの不満を募らせていた。自分の過ちは事情のせいにし、他人の過ちはその人自身の問題だと決めつけるなど、周囲に対して批判的な見方をしていたと語った。
その後、学林に入林し、日本での共同生活が始まった。秩序ある生活環境に感銘を受ける一方で、時間や規律を重んじる生活、当番や清掃などの日々の役割に対して、当初は強い窮屈さを感じたという。規則を守ることが、自分を縛るもののように思えたのである。
しかし、先輩たちが掃除などに真剣に取り組む姿を目の当たりにする中で、その受け止め方が変わっていった。誰も見ていない場所の掃除にも心を込め、与えられた役割を丁寧に果たす姿から、規律とは外から押しつけられるものではなく、自分の心を整えるための実践であると学んだという。掃除は単なる作業ではなく、心の中の濁りを取り除く時間であり、決められたことを誠実に行うことは、自分自身を育てる修行であると感じるようになった。
また、共同生活の中では、価値観や文化の違う仲間との関わりを通して、自分の考えだけが正しいわけではないことにも気づかされた。相手の言動に腹を立てたとき、「本当に相手が悪いのか。それとも、自分の思い通りにならないことに執着しているだけなのか」と、自らに問い直すようになったという。

ミャンマーのチャールズ・ボー枢機卿(左) バングラディシュ出身の学林生(右)
その実践として、まず挨拶を変えることから始めた。恥ずかしさや遠慮を捨て、自分から相手の目を見て笑顔で挨拶することを続けた。その積み重ねによって、人との関係や周囲の空気が少しずつ変わっていったと語った。
さらに、日本に来て6か月後、父親が急逝するという大きな出来事があった。帰国できず、最期に会うことも言葉を交わすこともできなかったことは、大きな悲しみとなった。しかし、そのとき同期生や先輩など、多くの人々が家族のように寄り添い、支えてくれたという。その経験を通して、苦しみの中にも人とのつながりがあること、自分の悲しみを知ることで他者の痛みにも寄り添えることを学んだと語った。
最後にその学林生は、帰国後は宗教や民族の違いを超え、誰もが人間として尊重し合える社会づくりに尽くしていきたいと決意を述べた。
一人の青年が、自分の内面と向き合い、日々の生活実践の中で少しずつものの見方を変え、人との関わり方を変えていった姿が率直に語られた。学林における学びが、知識の習得にとどまらず、人間としての成長と社会への貢献へとつながっていることを示す発表となった。
学林における学びは、講義にとどまらず、共同生活や実習、日常の人間関係を含めた総合的な実践の中で展開される。その一つひとつが、自己中心的な在り方を見つめ直し、「他者と共に生きる」という仏教的価値観を体得する機会となっている。こうした教育環境は、実践的仏教の理解を深めるとともに、宗教や文化の違いを越えた対話と協働の基盤を育むものである。
本説法会は、個人の内面的な目覚めが、社会的責任や国際的視野へとつながっていく過程を具体的に示す機会となった。そこには、宗教の枠を越え、人類共通の課題に向き合うための対話と協力の可能性が示されている。
学林海潮音科卒林生たちは、それぞれの地域社会において、多様な人々と関わりながら、宗教的・文化的背景の違いを尊重しつつ、共に生きる社会の実現に寄与してく。その歩みは、諸宗教間の協力や国際社会との連携を通して、持続可能で調和ある未来の創造へとつながっていくことを願っている。